mischief


かねてより遊星は明日は何もかもを放棄しようと思っていた。
最近徹夜も続いているし、そもそも入浴やら食事やらすら極力短い時間で済ませ、朝から晩までDホイールの傍。
合間に修理依頼の仕事。
嗚呼不毛だ…とは思わないが、一日くらい休んだって良いだろう。
と、言うとクロウは非常に喜んだ。
心配をかけていたなら申し訳ないと思いつつ、遊星は明日を休みと決めた。
物凄く久し振りに湯船に浸かって、早めに部屋に戻るときにクロウが『明日は起こさないからな』と声をかけてきた。
ありがたく頷いて、ベッドへ。
そういえばベッドも久し振りだった。
眠たくて我慢出来なくなったら近くのソファを使っていたのである。
布団に潜り込んだらすぐに睡魔に襲われた。
そんなに疲れていたのかな…などと考える暇もなく、遊星は微睡みの中に飲み込まれたのである。







「…」
慣習って、悲しい。
別に早く起きなくても良い時に限って不思議と何時も起きているくらいの時間に目が覚めたりして。
携帯で時間を確認して遊星はディスプレイの明るさに顔を顰めた。
(もう少し寝よう)
冷たい朝の空気が鼻先を冷やすから、遊星は浅めに布団を引っ張り上げる。
しばらくして温かさを感じてくると心地良い眠気に緩やかに支配される。
流されるままうとうとと夢の狭間を漂っていると、控えめに部屋のドアを叩く音が聞こえた。
(…誰だ…?)
とは、思うものの、面倒臭いので返事はしない。
今日は何もかもを放棄するのだから、対応する気もない。
するともう一度控えめなノックが聞こえ、遊星の返事を待たずにドアが開かれた。
「…遊星…勝手にごめんねぇ。…ドライバー、貸してねぇ…」
小さく、誰に言うともなく囁く声。
…か)
声の持ち主は同居人のであった。
家主の娘で、今やチームの一員のようになっているほどに打ち解けた存在である。
家事などを手伝ってくれた事がその大きな要因だったかもしれない。
胃袋を掴まれた男は陥落が容易なのだなぁと彼女をみれば誰しもが感じたであろう。
あのジャックすらある程度の言う事を聞くのだから。
明るくて家庭的な彼女は女性特有のしなやかなムードメーカーとも言えた。
そこに居るだけで雰囲気が和やかになる不思議な存在。
女性というものは得てしてそういう雰囲気を纏っているのかそれともが特別なのかは遊星には分からない。
部屋に勝手に入り込む静かな足音を聞きながら遊星はぼんやりとの動向を伺う。
物音から察するに、机の辺りを触っているらしい。
(……ドライバーとか言っていたな…どこに置いたんだったか…。…引き出し…引き出し…?不味い…!)
一瞬にして遊星の頭が覚醒する。
…!」
今まさに引き出しをあけようとしていたの肩がびくりと震え上がる。
最もな反応だ。
寝ていると思っていた遊星に、いきなり大声で名前を呼ばれたのだから。
「びっくりした…!遊星、起きてたの?」
驚きに振り返ろうとする
そしてそんなの手を制止しようとした遊星。
しかし、物凄く慌てていた遊星はベッドの端から伸びる充電器のコードに足を取られた。
「っ…!?」
「えっ…」
振り返ったが小さく声をあげるのと、ベッドから滑り落ちた遊星の携帯が派手な音を立てるのはほぼ同時のこと。
しかしそれよりも一瞬遅れてもっと派手な音が響いた。
「っ痛ぅ…」
「な、何?どうなったの?」
先程転びかけた遊星がを押し倒すような形で覆いかぶさってしまったのだ。
が、このままではが自分の下敷きになると咄嗟に抱き締めて体を捩った遊星が、と床に挟まれるような態勢になったのである。
おかげさまでは遊星の胸の上で無傷で済んだ、というわけだが急に世界が引っくり返ったはそれに気付けない。
遊星に抱き締められるような形で頭を上げたは戸惑ったように視線を泳がせているのである。
「ゆ、遊星…あの、何かよくわかんないけど…大丈夫…?」
「…あ、ああ…。すまない、驚かせて…」
覚醒直後の遊星がに視線を投げかけてぎくりとした。
を守るためとはいえ何という態勢を取ってしまったのか。
思わず抱き締めた細い腰。
まだ、状況を飲み込めず無防備にも押し付けられている柔らかな胸。
そしてきょときょとと困ったように上目遣いで瞬きを繰り返す目。
どきりと心臓が跳ね、その瞬間にの体を引き剥がす。
「っ、怪我は…ないか?」
驚きと高揚で上擦る声を隠そうとするが上手くいかない。
が、はそんな遊星には気付かなかったらしい。
ただ不思議そうな表情のままで首を横に振った。
「大丈夫だけどびっくりしたー…。起こしちゃったのね。ごめんね」
「いや、その…構わない。…何の、用だったんだ?」
本当は何の用でが訪ねてきたか聞こえていたがはっきりとそれを言える訳が無かった。
しかしは当然のことながらそんな遊星にも気付かない。
「あのね、ドライバー貸してもらおうと思ったの。朝、何かが落っこちる音で目が覚めたんだけど、壁に掛けてあった写真立てが一つ落ちちゃって。固定してあったネジが緩んじゃったみたい」
成る程、それで来たのか。
普段工具に触る必要など滅多に無いであろうがそんなものを探しにきたことに漸く得心した。
「それくらいなら直してやろうか?」
「わ、それ助かる。でもいいの?今日お休みだってクロウから聞いたけど」
「別に構わない。それに…」
「それに?」
「…いや、何でもない。着替えたらすぐに行くから部屋で待っていてくれないか」
「うん。遊星、ありがとう」
引っくり返った後、床に座り込んでいた二人。
先に遊星が立ち上がりの手を取った。
素直に握り返してくる彼女の手は柔らかくて温かいくて。
折角落ち着き始めた心臓をまた刺激するかのようだった。
「じゃあよろしくね。起こしちゃって、ホントごめん」
少しだけ申し訳無さそうに微笑んで踵を返すを見送り、遊星は先程慌てすぎて床に落としてしまった携帯を拾い上げる。
そしてそれを机の上に置いて、引き出しを開けた。
そこは先程が触ろうとしていた引き出しでは無かったが、遊星はその中を覗き込み呟いた。
「…だけは、特別に決まっている」
先程言いかけて伝えられなかった言葉である。
誰も聞くものがいなくなってからしか言えないなんて臆病な事だと自分でも思うが、こればかりはどうしようもない。
結局遊星は引き出しを覗き込むだけで、何かを取り出すことはしなかった。
クローゼットを開けて服を取り出す。
そして寝間着に着ているTシャツを脱ぎ捨て、無造作にベッドに放り投げた。




遊星が写真立てを直してくれる。
気になる彼が部屋に来るんだと思うとちょっと緊張してしまう。
感情の抑揚も薄く、普段から何を考えているのか良く分からない(ついでに言えばどんな会話をして良いのかもちょっと良く分からない)遊星。
それでも仲間と会話しているときのふとした微笑みとかに、はどきっとさせられていた。
盗み見るなんて趣味が悪くて申し訳ないなーと思いつつも追いかけるように遊星の笑顔を探してしまうのだった。
落ちてしまった写真立てを撫でる。
朝これが落ちる音には本当に驚いて一瞬布団の中に慌てて潜り込んでしまった程だ。
不意打ちの騒音が心臓に悪すぎると思った。
でも、今はこれのおかげで…。
「…遊星が起きた瞬間はすごいびっくりしたけど…」
今思い出しても、何が何だか良く分からない。
振り返ったときには既に飛びつくような勢いで遊星に抱き締められていたのだ。
そして気付いたら遊星を押し倒すような態勢に…。
「……」
思い出すだけで赤面ものだ。
あんな間近で遊星を見たのも初めてなら、あんなに密着したのも当然初めてである。
何故か抱き締められていたのだが、遊星の腕は今思い出しても力強くてどきどきしてしまう。
紅潮していく頬を押さえて写真立てを見た。
「そうだ、ついでに中身かえようかな…」
いつか入れようと思っていた写真があったことを思い出した。
は自分の手帳を取り出す。
そして挟んでいた写真を取り出そうとした。
しかし…。



「…」
よく考えたら、の部屋に入るのは初めてだった。
掃除や洗濯でが遊星達の部屋に入ることは多々あるが、逆は殆ど無い。
当然と言えば当然か。
それにしてもの部屋の前でなんとなく二の足を踏むのは、知らないの何かに触れるようで緊張するからだろうか。
とは言え突っ立っているわけにもいかないので控えめにドアを叩いた。
「あっ、遊星!?」
「ああ。待たせてすまない」
「や、全然待ってないけど!ごめん、入ってきて。ちょっと手が離せなくて…」
「…?なら、入るぞ…」
に請われたのであれば是非もないと、ドアを開けた遊星は目の前のを見てぎくりとする。
「…何を…しているんだ」
は何故か床に這った状態で遊星にお尻を向けている。
「写真立ての中身を入れ替えようと思ったら、写真が落ちちゃったのー」
成る程、ベッドと床の隙間に入り込んだのか。
しかし気付いていないのだろうが、この態勢は無防備すぎる。
スカートで四つん這いになっているせいで普段は隠れているような際どいラインが…。
(これは…目の遣り場に困る……)
じろじろと眺める訳にもいかず、遊星は視線を泳がせながら問うた。
「俺が代わろうか」
「や、流石に悪い…」
「届かないんだろう?」
「…ん、まあ…そうなんだけど」
「なら、俺が」
身体的に言って背の高い遊星の方が手の届く範囲は広いわけで。
一瞬の逡巡を経てはおずおずと体を起こした。
おかげさまでスカートも普段通りの位置に戻り、遊星はほっとする。
「じゃあ、お願い」
「ああ」
と入れ替わるようにして遊星が膝をついた。
覗き込めば確かに遠くの方に白いものが見える。
「あれか………、取れたぞ」
「ありがとう…!」
難なくそれを取り出した遊星がに渡す。
「これさ、皆が来た時に撮らせて貰った写真なんだ。覚えてる?」
「来た時…?」
「覚えてないかな。あたしあちこち撮ってたもんねぇ」
苦笑しながらもぺらりと見せられた写真は遊星やジャック、クロウ達が写ったもの。
誰の視線もレンズを見てはおらず、引っ越しの最中を写したもののようだった。
写真を見せられたことでじわじわと当時の記憶が遊星の脳裏に蘇ってくる。
「そういえば、確かに写真を撮っていたな」
「思い出してくれた?趣味なの、カメラ」
言ってが視線をあげる。
つられて遊星も壁に目を向ければ、成る程、壁のコルクボードにはたくさんの写真が。
写真立てもちらほらと飾られている。
そしてそのうちの一つが落ちたということか。
「いつか皆の写真も飾りたいなって思ってて…さ。落ちちゃった写真立てにってちょっとアレだけど」
あは、と照れたように笑う。
見たことのないの笑顔に遊星は心臓を揺さぶられたが、それを隠すように視線を落とした。
「…何故、その写真にしたんだ?」
「え…?あ、…あの、…そう!皆がちゃんと収まってるのがこれしかなくて!」
何故か一瞬言いよどんだ
変なことを聞いてしまったのかと不安になりつつ遊星は曖昧に「そうか」とだけ返した。




まさかそんな質問が来るとは思っていなかった。
何となく話題を振ろうと見せた写真。
さほど遊星に興味はないだろうと思ったが、自分の趣味を知って欲しくて言ってみた。
そうしたら『何故その写真を飾ろうと選んだのか』と問われた。
本当にまさかの質問である。
偶然にもチームメイト全員が収まっていてくれたおかげで上手く言い訳が出来たが、本当は別の理由でこの写真を選んだのである。
「これで多分大丈夫だ。下は留めていないから中身を替えるときはここからやってくれればいいと思う」
「ありがとう。あたしが何となくやったやっつけ仕事なのに、全部やって貰っちゃって…」
結局、遊星はの部屋の写真立ての取り付けを全て手直しした。
また落ちてしまったら今度は壊れてしまうかもしれないし、と遊星が言ってくれたので手直しをありがたく受ける。
器用な遊星の後ろ姿を思う存分堪能して、は最初に落ちた写真立てに視線を移す。
そこには確かに遊星のチームメイトが全員収まっていた。
しかしはそこに写る遊星だけを見つめる。
龍亞の頭に手を置いて笑う遊星。
偶然にもシャッターを切ったその瞬間の会話すら鮮やかに蘇ってくるようだ。

『もー、龍亞、遊んでばっかりいないで手伝ってよー…』

『俺もちゃんとやってるってば!な、遊星!』

『ああ、そうだな』

『ほら見ろ、龍可!』

『…遊星は龍亞に甘すぎるの!』

いつも抑揚のない表情で、何を考えているのか分からないくらいだと思っていた遊星の笑顔。
思わずきちんと撮れたのかどうかをすぐにチェックしてしまった。
それからだ。
普段無表情の遊星が笑う瞬間がまた見たいと思うようになって。
気付けば一番気になる存在。
「とっても助かったから、朝ご飯に何でも好きなもの作ってあげる!まだでしょ?」
明るく言うと、遊星はそういえば…と空腹を思い出したようだった。
何となく遊星の返答を予想して、は卵とバターの買い置きをしておいて良かったと密かに思った。







何もしない、と言うのも楽なようでなかなか大変だった。
誰もいないガレージは静かで、ともすればDホイールを弄りたくなってしまう。
パソコンを点けてもいないけれど昨夜のプログラムの修正ポイントを考えてしまったりして。
はカメラが趣味と言ったが、自分はきっとこれが趣味なのだろうなとさえ思う。
もう趣味ならいっそいつも通りにDホイールを触れば良いのだろうが、何となく「休み」と伝えた時に喜んだクロウへの罪悪感もある。
結論は…。
遊星はガレージのソファに沈めていた体を起こしたて、Dホイールにのディスクに差しっぱなしのデッキを抜いた。
そして自分の部屋へ。
ジャケットとタンクトップを脱いで、今朝ベッドの上に放り出していたTシャツを着るとベッドの上にざらっとデッキを広げた。
ジャックはよくカードを触っているが、自分にはこういう隙が余りない。
寝そべりながらぺらりぺらりとカードをチェックしていく。
そんな遊星の耳に外がうるさくなってきた音が聞こえ始めた。
ふと顔を上げる。
雨だった。
最初はぽつぽつと叩く程度だったが、段々と音が増していく。
寒い冬の冷たい雨の日。
仕事を全て放棄して正解だったかもしれない。
もしかしたらこれに直撃されていた可能性だってあるのだ。
いや、現に今クロウが直撃されているじゃないか。
何となく同情を感じつつ、少し暗くなった部屋の中で雨音を聞いていたら。



いつしか、遊星は静かに寝息を立て始めたのだった。



さて、冷たい雨に打たれていたのはクロウだけではなかった。
配達を途中で切り上げて帰ってきていたクロウ。
確実に今日届ける必要のないものは仕方がないので明日に回すことにする。
冷えた体をシャワーで温めてから運びきれなかった荷物を下ろしていたところにが帰って来たのである。
かなり濡れたのだろう、寒そうに身を縮めて震えながら。
「何だ、お前も出掛けてたのか?」
「そう…、な、の…もう、死にそうなくらい、寒くって…」
「風邪引くなよ」
「ん、ありがとう。お風呂入ったら夕飯の準備手伝うから…」
言って、は普段とは別の方へ入っていく。
家主側の居住区の風呂を使っているのだ。
しかし部屋は遊星達と同じ方を使っている。
一見不便だが、家事を手伝いたいという理由を建て前として部屋を移したのである。
実際の理由は遊星の近くで生活したいからに他ならないが、誰も気付いてはいなかった。
家事を引き受けて貰えると言うことは遊星達側としては非常にありがたい話だったので、特に反対するものもおらず今に至る。
濡れた服を手早く脱いで洗濯機に放り込み、震えながらシャワーを捻る。
が。
「え、ちょっと…嘘でしょ…」
水が出ない。
一度締め直してもう一度捻る。
やはり雫すら出ない。
「あああ、やだぁ…こっちの水道管凍っちゃったんだ…」
やはり震えながらは風呂場を飛び出し、慌てて服を着る。
そしてバスタオルを掴むと、ガレージの方へ走った。
そこには下ろした荷物をチェックしているクロウの姿が。
「クロウ、お風呂貸して!水道管凍っちゃってお湯出ないの」
「ああ。今は誰も使ってねぇから好きにしろよ。元々はお前の家だしな」
「ありがと!」
もう一刻も早く体を温めたいは階段を駆け上がった。








部屋を冷気が覆っているかのようだ。
あまりの寒さに遊星は目が覚めた。
暗い部屋の中、ベッドの上に散らばったカード。
真冬の雨の日に布団も被らずに寝てしまったのか。
腕をさすりながら、長袖とはいえ薄手のTシャツに着替えたことを後悔した。
ジャケットを着ていればもう少しマシだっただろうに。
「っ、くしゅ…!」
寒くてくしゃみが出た。
鼻をすすりながら部屋を出ると廊下の先が明るかった。
クロウが帰って来ているのだろうと、明るい方へ向かう。
階段の上から見下ろせばソファに座って何かを飲んでいる姿が見えた。
手には何やら紙切れを持っているようだ。
そしてソファの背もたれのところにバスタオルを広げているのも目に入った。
そうだ、自分もシャワーを浴びよう。
少し早いが遅かれ早かれ風呂には入るのだし、夕食前に済ませてしまえば後が楽だし。
普段なら食後もDホイールを触ることがあるので、遊星は寝る前にシャワーを使う。
が、今日だけは別だ。
もうこの後オイルに汚れる心配もない。
遊星は踵を返して風呂場へと向かった。
部屋に寄って着替えとバスタオルを用意する。

そして、それを抱えたまま、遊星は風呂場のドアを開けた。

「…えっ」

多分その声はどちらからともなく発せられたに違いない。
言った本人でさえも言ったことが分からないままに白い湯気の中に融けていく。
ドアを開けた瞬間、遊星の頬を温かい空気が撫でておかしいな、と思った。
更に電気まで点けっぱなしである。
誰もいないはずの脱衣所が何故こんなにも明るくて熱気を孕んでいるのだろうと。
次に白くて滑らかな曲線が目に入った。
あれ、と思いながら視線を上げると、同じくキョトンとしていると目が合った。
ぱちぱちと瞬きを繰り返す彼女の髪から滴り落ちた雫が白い胸を伝う。
見つめ合った時間はもしかしたら一秒にすら満たなかったかもしれない。
そんな長くて短い一瞬の間に遊星とはお互いの存在と状況を同時に理解した。
「…っ!」
「きゃあぁぁあっ!!出てって!!!」
遊星が息を飲むのと同時に、体を腕で庇いながらは遊星を突き飛ばした。
そして勢い良くドアを閉める。
ばたん!と大きな音がして辺りが暗くなる。
突き飛ばされた遊星は、その慣性のままに背中を壁に押し付けてずるずるとへたり込んだ。
そこへ騒音を聞きつけたクロウが上がってくる。
「…何騒いでンだよ」
質問が投げられるが遊星は茫然としたままで答えない。
どうしたのだろうと壁を背にして座り込む遊星に近付いた。
そこで遊星が座り込んでいる場所に気付いたクロウは「あーぁ…」と言う表情になる。
「遊星、お前もしかして風呂入ろうとしたのか?」
「……ああ」
あちゃぁ…とクロウは顔を顰めた後、遊星の傍にしゃがみ込み小さな声で問うた。
「見たのかよ、お前」
クロウの問いに遊星はびくりと体を震わせると、クロウに視線を合わされることを避けるように片手で顔を覆い俯く。
耳まで赤くしている遊星にクロウは溜め息を吐いた。
「とりあえず、部屋行け。ここにいたらが出て来れねーから」
助け舟のようなクロウの声に遊星は無言で頷くと、のろのろと立ち上がった。
そのまま先ほど出てきたばかりの部屋に戻る。
ぱたん、と後ろ手にドアをしめて力無くしゃがみ込んだ。
(最悪じゃないか…)
そう、なんて最悪なタイミングで会ってしまったのか。
と、言うか何故が自分達の使っている風呂場を使っていたのだろうとも思うが、それは何か理由があるのかもしれない。
しかし何にせよ、どういう理由があったにせよ、あのタイミングで出会ったことは事実で真実。
の裸の体を見てしまった、と言う事柄はもう覆ることはない。
(……嫌われた…よな)
淡い恋心が緩やかな崩壊の音を立てるようだ。
嗚呼、と溜め息を吐き遊星はふらりと机の傍へ行く。
そして引き出しを開けて手を入れた。
「………」
取り出したのは、の写真である。
どうしてもいつも彼女に会いたくて一枚だけこっそりと携帯で撮ってしまった。
勝手なことをしていると思いながらも、写真の向こうのの微笑みに、行き詰まった時どれだけ励まされてきたか。
それももう諦める日が来たと思うと悲しくて仕方がない。
いつか本当にが傍にいるようになればいいと思っていた。
だけどそのいつかは永遠に来なくなったのだ。
後悔の波が遊星に押し寄せる。
(こんなことになるのなら、もっと早く彼女に気持ちを伝えれば良かった)
どうせ手に入らないのなら潔くの手で諦めさせて貰えば良かった。
そうすればもっと気持ち良く身を引けたのに。
中途半端に手折られて、ぐずぐずと燻るままに誰にも気付かれないままの気持ちを引きずっていかなければならないのか。
その時、悲壮な気持ちを深めては後悔と絶望を味わう遊星の部屋のドアを控えめに叩く音。
「…遊星…」
の声だった。
何と返事を返せば良いのか分からず、遊星が言葉を探していると、は遊星の言葉を待たずに続ける。
「あの、クロウから聞いたの…。遊星、あたしがお風呂借りてること知らなかったんだよね?あの、何て言うか…今回のことは、あの…事故だからさ…!だから、あの…あたし気にしてないから…」
の言葉に、遊星は思わず部屋のドアを開けた。
そこには困った顔で頬を赤くするが立っている。
さっきの今で、生々しい記憶が蘇りそうになるのを堪える遊星。
「あたし達…友達、でしょ?あんなことで気まずくなりたく、ないの…」
…」
「友達に見られたくらい何でもないから…だから、今まで通りで仲良くしてよ。ね…?」
クロウから説明を受け、なりに解決策を考えてくれたのだろうと遊星は推測した。
このまま元通りの友人関係の継続。
魅力的な提案だ。
しかし遊星は今、多大なる後悔をした直後である。
彼女の手で終わらせて欲しいと望んだ気持ちが遊星に暗い翳りを作り出していた。
、その前に聞いて欲しいことがある」
「…え、なぁに?」
遊星の真剣な表情には僅かに不安そうな顔をした。
それが僅かに遊星の決心を揺るがしてくる。
しかしまた後悔するくらいなら、と遊星は口を開いた。
「確かに俺はがあそこにいた事は知らなかった…だが、だからと言って失礼なことをしたには違いない。本当にすまない」
「や、良いってば。聞いて欲しいことってそれ?」
「違う。それとは別に謝らなければならないと思っていたんだ」
「あ…そう…」
あまりにも真剣な顔をするから構えていたのに。
しかし謝辞以外で聞いて欲しいこととは一体なんだろうか。
は改めて緊張しながら遊星を見た。
強い目をした遊星が真っ直ぐ自分を見下ろしている。
遊星は僅かな一呼吸を置いて、少しだけ自嘲気味に言葉を続けた。
「最悪のタイミングだと、自分でも思うんだが…その、…」
「…なぁに?」
「俺は、が好きだ。ずっと、好きだった…」
「…えっ」
予想もしない遊星の言葉には目を見開く。
、さっきは友達でいようと言ってくれた。それはきっと、俺のことをそれ以上には見ていないと言うことなんだろう?」
「えっ、いや、それは…」
「良いんだ。もしそう思ってくれるならそれで構わない。寧ろ、今でもこんな俺と友達でいてくれるなら、俺はすごく嬉しい」
「や、あの、ちょっと遊星…」
「たが、もしもう友達としても付き合えないなら、俺は極力の前には出ないように努力する…」
「遊星、ちょっと黙って」
「…!」
の低い声が遊星の声を遮った。
怒らせてしまったかと思い、遊星は言われた通りに口を噤む。
「あたしのことが、好きなの?」
「…ああ」
改めて確認されると気恥ずかしく、遊星は僅かに顔を赤らめた。
が、はそれを気にしている余裕はない。
「友達として、じゃないのよね?」
「ああ」
「……」
なんと言うことだろう。
こんな形で遊星から告白を受けるとは。
出来るだけ傍にいたくて友人関係を続けようと提案したら、それ以上の返事が返ってきた。
「…」
「…」
「…」
「……?」
黙り込んだに恐る恐る声を掛ける遊星。
はそんな遊星に向かって悪戯な笑みを浮かべた。
「あたし、今まで付き合った人っていないの」
「?」
「男の子に裸見られたのも初めてなの」
「!」
「責任取って、くれるよね?」
言って、遊星にそっと体を寄せて抱きついた。
一瞬、何をされたのか分からず胸元に頬を寄せたを信じられない気持ちで遊星だったが、やがてその細い肩を恐々と抱き締める。
「…俺でいいのか…?」
「馬鹿ね、遊星が良いの。だってあたしも、遊星が好きだったんだもん」
甘い声で胸の内を告白するに、遊星は目を見開いた。
も同じ気持ちでいてくれたのか。
そう思うとすごく嬉しい。
そっと遊星はの顎に手を添えて自分の方を向かせる。
その行動に何をされるのかを理解した
恥ずかしそうに視線を泳がせた後、静かに目を伏せた。







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さて、キリ番のお礼に書いた冰覇様へのリクエスト小説でした。
リクエストは遊星相手の甘ラブエロいハプニング。
しかし、何か消化不良!すいません!
もうエロいハプニングって風呂場へ突撃する以外なんかあるんかなと必死で考えたけどこんなもんだった。