ひとひら


はらり。
「ブルーノ、何か落ちたぞ」
「ん?」
ガレージに戻って暫くした頃。
作業の続きに戻っていた僕が立ち上がった時、遊星が何かを拾い上げてくれた。
「…花弁、か?」
時間が経って少しだけ元気のなくなった花弁。
白いそれは僕に出会った日のを思い出させる。

あの日はやっぱり遊星と遅くまでDホイールを触ってて。

耳慣れないシャッターを開ける音で目を覚ましたんだ。
まだ眠くて、もう誰だよなんて思いながら窓から外を見た。
向かいのシャッターが開けられた音だったらしい。
「…花屋さん…かな?」
忙しそうに外に花を出す人がいた。
まあそれがだったんだけど。
遠目には良く判らなくて、とりあえずお花屋さんが出来たのかな?ってそれくらいだった。
その後ガレージに下りたとき、先に起きてたクロウに言ってみた。
「シャッターの音で目が覚めたけど、お向かいお花屋さんになったんだね」
「ああ、そういや3日くらい前に挨拶来てたぜ。ダイニングに花飾ってあったろ?あれ花屋の姉ちゃんが持ってきたんだとさ」
「そんなのあったっけ?っていうか挨拶すら知らないんだけど…」
「お前等パソコンに熱中してそれどころじゃなかっただろーが。俺がいなきゃ姉ちゃん何もせずに帰る羽目になっただろうな」
ほんと、それくらいの印象。
後で朝食のときにダイニングを見たら、細いフラワーベースに白とほんのり黄色い花がまとまって仲良く鎮座していた。
生けてくれたのはアキさんだったらしい。
そりゃそうだよね、僕も含めてこのチームの面子じゃあね。
でも、その日のお昼頃。
すごく慌てた様子でが来た。
ガレージに勝手に入るのは戸惑われたみたいで、外から声を掛けられたんだ。

「すみません!あの、こちらの方が機械に詳しいって聞いたんですけど…!」

凛とした通る声のがそこにいた。
「…どうかしたのか」
先に応対したのは遊星。
流石、年上と思っても物怖じしない言い方。
「ええっと、車が…動かなくって。お忙しいとは思うんですけど、見てもらえますか?」
「あ、じゃあ僕が」
「俺も手伝うか?」
「いいよ。遊星は続きやってて。大概のことなら僕一人で大丈夫だよ」
立候補したのは他でも無い。
車に触りたかっただけ。
僕はDホイールが大好きだけど、車も好きだ。
機械や機構のものを見るのは記憶を失った僕が楽しいと思えることの一つだ。
工具を抱えて向かいの花屋へ。
窓から見たときは遠目で良く判らなかったけれど、近くでみたの店は色彩で溢れかえっていた。
鮮やかに開いた花と淡い香気。
そんなに興味がない僕だけど、こうやって集まっていればそれなりに…なんてにとっては失礼なことを考えていたっけ。
「この車なんですけど」
ぱっと見は別に新しくもなければ古くもない、普通の車。
中を開けてもらう。
でもちょっと見た限りでは異常は見留められなかった。
「動かなかったら配達に行けなくて…」
心底困った顔のにどきっとした。
悪趣味だね。
でもそこで初めての顔をちゃんとみたんだ。
化粧っ気の薄い、髪も束ねただけの、おそらくは仕事用の彼女。
失礼だけど地味な方だったと思う。
ただ何となく…ダイニングテーブルの小さな白い花を思い出して。
明るい黄色に埋まった白い花を。
「ぱっと見は変なところは無いね」
「直りますか?」
「うーん…配達って急ぐかな?」
「一番時間が迫っているお客様で、車で15分くらいなので…遅くても後10分くらいで出ないと…」
「え…っ」
「荷物積むために動かそうとして動かないことが分かったので…時間無いですよね。どうしよう…」
やっぱり困った顔。
どうしよう、何か凄く可愛い。
僕はどうしてもの力になりたくて…。
「ちょっと待ってて。とりあえず時間が迫ってる配達のものを君が持てるだけ用意してくれる?」
「え、でも…」
「車じゃなくても配達出来れば問題ないよね?」
「え…?ええ、まあ、それは」
「じゃあ、用意してて」
僕はを待たせて一度ガレージに戻る。
とりあえず間に合えばいいならDホイールがあるから。
僕が乗るわけじゃないから遊星に事情話して、遊星が彼女を送っている間に直せば良い。
遊星とDホイールを駆り出して、もう一度彼女の元へ。
は大きな籠に幾つかの苗や花束なんかを詰め込んでいた。
「これで彼が君を送るから、その間に車は僕が直しておくよ」
「ああ、そういうことだったんですね。…ありがとう!」
とっても安堵したように彼女は僕に、それこそ綻んだ蕾が一気に開花したかのような笑顔を向けてくれた。
それは本当に綺麗な笑顔。
「これでこの子達もお役に立てます!ああ、まだお名前を聞いて無いわ。私はです。貴方は?」
「ああ、えっと、僕はブルーノ」
「ブルーノさん!本当にありがとう!」
は遊星の背中に腕を回し、何度も僕にお礼を言ってくれた。
見送る僕は何だろうとても釈然としない気分で遊星を見送ったと思う。
だって彼女の仕事を請けたのは僕だったのに。
結局遊星が彼女と一緒にDホイールでドライブなんて…ねぇ?
でも依頼は依頼。
車に向き直る僕の目の前にはらりと花弁が降って来た。
恐らく彼女の籠から飛んでしまったんだろう。
白い花弁を見て僕は苦しいような不思議な気分になったんだ。
が好きだって気付いたのはそれから直ぐ後だったよ。
こんなに温かい気分になるなんてね。