トリカゴ


「ねぇねぇ零児くぅん!毛色の変わった鳥、捕まえたんだって?」
「…耳の早い…。何処から聞いた」
「そんなことはどうでもいいの!ねぇ、零児君、それあたしに譲ってくれない?」
にっこりと浮かべている微笑は有無を言わさない強いものだ。
我が身内ながらこの女はあまり敵に回したくない。
自分自身以上に見境のない、だからこそ自らの手を汚すことも決して厭わない女である。
放っておけばなにをするか分からないことを零児が一番よく知っている。
「貴方はすぐに玩具を壊すから嫌だと言ったら?」
「あらァ、大丈夫よ。人から借りたものをあたしが壊したことがあった?」
「…」
「生き物には優しいわよォ」
「…俺には優しくなかっただろう」
ぽつりと呟いた零児の言葉に一瞬きょとんとするが、すぐに酷薄な微笑みを唇に戻す。
「だって、弟は姉の奴隷って世間で決まっているもの」







彼女が一昨日『鳥籠が欲しいわねぇ…』と呟いた時、もう少し警戒しておけば良かったのだ。
まさかもう黒咲のことを耳に入れているとは思いもよらず。
箝口令などいらない程、零児の周囲は安全な筈なのに何処からか情報を得てくるあの女。
忌々しいとか憎らしいとか、そういう感情を覚えることは無かったが強いて言うなら関わって欲しくないというのが一番適切だった。
規律的な零児と違い彼女は奔放である。
好きなことを好きな時に好きなようにしたい。
彼女が興味を持った時点で零児には手に負えない事案になるのだ。
とは言え彼女だって普通の女である。
肉体的に言えば零児の方が強いのだから、無理矢理彼女を押さえつけることだって本当は可能なのだけれど。
「……弟は姉の奴隷…か」
彼女のいう世間というものの認識は良く分からない。
だけど、彼女の言う通りであるという自覚は零児の中に確実に存在する。
他人であればもう少し上手く振り払えるかもしれないのに。
零児の中で姉は畏怖と敬愛と親愛と恐怖の化身のようなイメージだった。
綺麗で優しい面もあるくせに支配と暴力性も孕んでいる。
それが今、一羽の猛禽類に興味を示した。
懐柔に手こずったとしても時間の問題であろう。
そしてきっと彼女は。
その懐柔のプロセスを楽しみたいのだとさえ、容易に想像がつくのであった。



「貴方が、零児君の捕まえた鳥さんね」
「…」
「無口な人って聞いてたわ。高潔で孤高…あぁん、素敵よ。でも名前だけは聞かせて欲しいな。あたしはね、っていうのよ。零児君のお姉さんなの」
「…」
ちろりとを一瞥しただけで黒咲は無言で横を向いた。
部屋の中は普通である。
ベッドと机、収納スペースらしき引き戸、奥にはカーテンのかかった窓。
それだけだ。何もない。
ドアは一つ。
鍵はこのとかいう女が持っているのだろうか。
それなら簡単にカタがつきそうなものだが……。
「鳥籠は中からあけることは出来ないわよ」
「…?」
「ドアの方をじっと見て…。今あたしから鍵を奪えば脱出できるか考えていたのね。素直でいいわ。零児君も昔はそれくらい素直だったのに、いつの間にかあたしにたくさん隠し事するようになっちゃって…これが思春期なのかなって悩んだものよ」
「…」
「この部屋、こっちからは開かないように出来ているの。三時間後に零児君が迎えに来てくれることになっているわ」
「…」
「じゃ、それまでゆっくり遊びましょうか」
微笑みながら彼女は壁のスイッチをぱちんと落とした。
途端、部屋は真っ暗になる。
カーテンがかかった窓から光が差し込むこともない。
ぎくりと体を強張らせる黒咲に、暗闇からは声を掛けた。
「此処、ソリッドヴィジョンが使えるようになっているの。ほら、貴方と遊ぶためにこんなステージを零児君に用意してもらったのよ。気に入ってもらえると嬉しいわ」
彼女の言葉と共にそのヴィジョンがゆっくりと部屋の中に映し出されていく。
淡い桜色に塗られた鉄格子に囲まれたそのステージ。
「…何だ、この悪趣味な舞台は……」
「んふ、初めて声を聞かせてくれたわね!嬉しいわ。此処は貴方のための鳥籠よォ。さぁ、準備は良くって?楽しく遊びましょう」
戦慄を覚えるほど冷たい微笑みを湛えて、彼女はにじり寄ってくる。
先程のどちらかというと無邪気そうな印象を与える笑顔では全くない。
「何をするつもりだ…」
ソリッドヴィジョンが使用されているのならば、今モンスターを召喚すれば彼女を排除することは容易であろう。
実体化するモンスターに彼女が敵う筈も無いのだからと黒咲はカードを引き抜く。
とはいえデッキも持たない彼女に何かをするのは非常に気が引けた。
弱者を蹂躙することの意味を黒咲自身が身を以て知っている。
嫌と言う程に。
「そのカード、どうするのかしら」
「これでお前を排除する」
と呼んで欲しいわねぇ。弱い立場で傷ついた経験を持つ貴方がそんなこと出来るの?」
「!」
「あたし、零児君が知っていることなら大概は知っているのよ」
微笑むはもう目の前にいた。
どうする。
相手は丸腰だ。
しかし零児の姉を自称するこの女は底が知れない脅威を孕んでいるようにも感ぜられる。
「く…っ」
迷いながらも黒咲はモンスターゾーンにカードを叩きつけようとした、その時。
「残念だわァ」
一瞬早くが黒咲のディスクに触れた。
いや、触れたのではない。
その手の下には一枚のカードが。
「うふ、アクションカード発動ォ」
「何…っ」
「ごめんねー、これ、このステージ専用の魔法カードなの!貴方が見たこともないカード使っちゃって本当にごめんねぇ」
重ねて謝るだが、黒咲には彼女が謝っているようにはどうしても見えなかった。
寧ろ思い通りに事が運んで深く充足をしているようでさえあった。
慌てて置かれたアクションカードに視線を落とす。
「…強制送還…?」
「使用した本人と相手を指定された場所に転送するの。このステージでは愛の巣箱行きよ」
何だそれは、と問う間もなく黒咲はと共に一瞬にして何か柔らかなもので埋め尽くされたところへ放り出されていた。
狭くて暗い良く分からない場所。
慌てて視線だけで周囲を見渡せば、明かり取りのような丸い穴が見えるだけ。
「…?」
「鳥の巣箱って想像できる?小さな家のような形の箱に丸い穴を空けて出入りできるようにしたようなアレ。今あたしたちはあの中にいるの」
「!」
すぐ傍での声がしたと思うと、黒咲の体の上に何かが圧し掛かってきた。
本人である。
「何をする…!」
「はいはい、大人しくしてねぇ」
黒咲の二の腕の辺りを膝で踏みつけては彼の自由を奪い取る。
胸の上に跨られた格好で黒咲は声を荒げた。
「何がしたい…!!」
「やだァ、そんなこと聞くの?女の子に言わせるなんて…結構スキなのねぇ」
にやにやしながらは何故か手を上げる。
そこで気が付いたが、今いる場所は相当に狭いようだ。
膝立ちのの手が天井を触っている。
「勢いよく立ち上がって天井で頭を打つ貴方も見てみたかったけど…」
想像したのだろうか、くすくす笑いながら彼女が上げていた手を下ろした時には、今まで持っていなかったものを握っていた。
それは天井と鎖で繋がった…。
「そろそろ、腕が痺れてきたんじゃない?」
の手の中で、カシャンと手錠が金属質な音を立てる。
天井と繋がったそれが感覚を失った手にかけられるのを、黒咲は無力な気分で眺めた。
「抵抗されると思ったから仕込んでいて正解だったわね」
「お前…いつアクションカードを……」
と呼んで欲しいと言ったでしょ、あたし」
憎らしげにを睨みつける黒咲は、彼女の行動を脳内で反芻する。
その中で彼女がアクションカードを入手する瞬間は一つしか思い当らなかった。
「……電気のスイッチを消した時か…?あそこにカードが発生するように仕組まれていたのか」
しかしは答えはしなかった。
と、いうか黒咲的にももうその解答など如何でも良いと言えば如何でも良いのである。
「さ、楽しい遊びの時間よ。初めて貴方を見た時からあたしは貴方の虜なの。きっと本当に鳥籠にいるのはあたしの方なのね…」
「何を意味の分からないことを…」
「いつか何処かへ飛び立ってしまう前に、貴方の子供が欲しくなったと言っているの。自然界ではメスがより優秀なオスを選ぶのよ。選ばれたことに感謝して安心して次代に繋げて頂戴」
言って黒咲の膝に跨りながら、は赤いスカーフをするりと抜き取ったのだった。