「盗もうか、世界を」/「おぞましい咆哮と共に」


この体に取り憑く化物が私を抱きしめている。
鋭い爪は今日も私の肉を裂く。
おぞましい咆哮は今日も私の鼓膜を突く。
濡れた舌は今日も私を腹を舐める。
そして。
心の奥底から湧き上がる衝動に犯される。












「はぁっ、はぁっ…そうだいいぞ」
「ン、ぅ…ふ」
汚い路地の暗い一角。
少し町から外れたこの地区は法律も及ばない無法地帯。
勿論何度も取締りは行われているのに、何時の間にやら元通り。
盗みが横行し、女は皆売春婦、奴隷売りに野良犬のような子供達。
色んな悪事を箱に詰めて出来たようなこの地区はそういう人種以外が避けて通る閉鎖的な処。
そんな処にある宿屋だって当然マトモなモノではない。
女を連れ込む、或いはその場で買って味見をする為にあるようなものだ。
情事の跡が点在する汚いカーペットの上。
洗い晒しの敷布に薄い毛布。
簡単な湯殿でもあれば上等だ。
そしてその閉め切られた扉の向こうの空間は生温い温度の支配する部屋。
「ん、ぅう…っ、ぐ、ぅっ…」
「お前は最高だなァ…へへ、高ェ金を出した甲斐があるってモンだ」
「は、ふ…ぅう…」
顎を唾液で濡らしながら男の股間に顔を埋める少女。
まだ16,7歳くらいであろう細い裸体を晒して一心不乱に咥え込んでいた。
「クク、象牙色の肌に黄金色の髪なんて見たこともねェ。いい買い物したぜ」
そう言って男はやおら体を起こすと、少女をベッドにあげた。
そして足を割り開かせると、自らの腰を押し付ける。
「暴れたらブッ殺すからな。ま、大人しくしてりゃあ直ぐに終わるからよォ」
言いながら男は腰を進めた。
途端少女の体に激痛が走る。
「あぁぁぁぁぁぁっ!!!」
あまりの痛みに目を見開いて声を上げた。
そしてその瞬間。
悲鳴を上げる少女の口からどろりと白いオーラのようなものが溢れ出した。
男は少女の乳房に噛り付いているので気付かない。
「あっあぁぁぁ…」
驚きと痛みで混乱しながらも少女は白いオーラを吐き続けて。
それが何かの形をかたどり始めていることに気付く。
腕だ。
真っ黒な腕。
それを認識した瞬間、その腕は男の首をぐっと掴み上げた。
「ぐあっ!?」
突然のことに驚いた声を上げる男。
しかしそれも長くは続かなかった。
その黒い腕はギリギリと男の首を締め上げている。
だんだん男の顔が赤から青く変わってきたあたりでそう気付いた。
ぼたぼたと男の口から涎が垂れている。
そして男の胸が上下しなくなってから腕は男を解放した。
―――どさり。
少女の腹の上に倒れた男。
既に息は無いらしくピクリとも動かない。
男を解放すると同時に腕は消えた。
「…っ、今の…腕」
恐る恐る少女は自分の口に手をやった。
自分の唇の感触。
中に指も突っ込んでみた。
ぬるりと絡む自分の舌。
じゃあさっきの腕は一体何だ。
何だ?
得体の知れないモノが自分の中に潜んでいる?
少女は恐れた。
「…私…私………」
どくりどくりと心臓が早鐘を打つのが分かる。
さっきの信じられない光景と、そして心の奥から湧き上がってくる衝動によって。

『…お腹、空いた』

何故だか分からないが猛烈な空腹感を覚えた。
腹に伏す男を見て無意識に喉がなる。
少女は男をひっくり返すと、その喉笛に食らいついた。








「おい、女ァ。一晩幾らだ」
宿の近くで立っていれば3分もしないうちに客が引っ掛かる。
今日声を掛けてきた男は緋色のフードと白いローブの男。
右頬に大きな傷があるが、かなり若い良い男だった。
ちらりと身なりを見れば素行は悪そうなのに、黄金の腕輪や頭飾りなんかしている。
上々だ。
改めてにっこりと笑ってみせる。
「その頭飾りでいいわ。前払いね。あとは任せます。宿でも外でもお好きなところで」
すると客は頭飾りを無造作に取り放って寄越した。
「名前は」
「…。貴方は」
「バクラ」
言うが早いか、男――バクラはの手を取り早足で歩き出す。
コンパスが違うのでは少し小走りにならなければならなかった。
そのまま路地を一直線に抜けていく。
「え、ちょっと…」
ふと、はバクラの行き先に予想がついて思わず声を掛けてしまう。
「俺に任すんだろ?」
にやにや笑いながらバクラはを見た。
自信満々の笑みだ。
「だ、だけど…」
だけどは気が気じゃない。
このまま突っ切って行った先には確かに一つの連れ込み宿がある。
しかしそこはいつもが持ち帰られるような安宿なんかじゃない。
どちらかと言えば、娼館に雇われているような高級娼婦が出入りしているような宿。
設備だって全然違うのだ。
綺麗な絨毯、天蓋付のベッド…いつもの汚い狭い部屋とは全然違う。
勿論値段も、だ。
「堂々としてろ。別にお前が払うわけじゃねぇだろ」
の気にしているところをズバリついてバクラは笑んだ。
そして乱暴に扉を開ける。
エントランスにいるのはの予想通り、高級娼婦や階級が上の男たちばかり。
物凄く場違いな気がしては恐縮した。
だがバクラは動じない。
受付の女に、身につけていた黄金の腕輪を放り。
「一番高ェ部屋だ」
こう言った。
腕輪を受け取った女はかしこまった態度でそれに応じる返事をする。
専門家じゃないの目から見てもあの黄金の腕輪の価値ならお釣りがくるだろう。
豪快なやり方だと思った。
「おい行くぞ」
バクラのやり方に呆然としているを強く引っ張る。
「わっ…」
そのまま引きずられる様にはエントランスを後にした。
階段を昇り抜けて3階の一番奥にある豪奢な扉。
迷わずを引き込んだかと思うと、扉の直ぐ横の壁にを押さえつけ性急に唇を押し付けた。
「ンっ…」
吐息が絡む間も無い程、濃密な。
「ぅ、ン…ンン…っ」
ぐいぐいと体を押し付けてくるバクラ。
その腰には腕を回して受け入れる。
ねっとりと絡み合う舌が時たま立てる水音だけが耳に入った。
何度も角度を変えながらバクラに唇を犯し尽くされる。
「っは、ふ…」
ようやくバクラが離れた時、既にの体は引き返せない様な熱を帯び始めていた。
どうしよう、こんなことでは。
戸惑うように視線を逸らしてみる。
キスごときで腰を砕かれては堪らない。
しかしバクラは、もっとと言う様に再び顔を近付けてきた。
「ぁ…ン…っ」
「処女みてぇな反応すンのなァ、お前。結構可愛いじゃねえか」
ククっと喉の奥で笑い、またゆっくりと唇を奪う。
合間に胸を撫でられた。
服越しに、丸いラインをなぞるかのようなタッチだった。
「は、ン…ふぅ…っ」
息苦しいまでの深いキスが徐々にの思考にストップをかける。
温かくて柔らかいバクラの舌が気持ちいい。
じんわりと体の芯が熱くなる。
つぅっと銀の糸を引いてバクラが離れた時には、もうは立っていられないほどだった。
足が震えて、思わずバクラにしがみついた。
「はぁ…すご、い…」
「ケッ、こんなもんじゃねぇぜ。もっとスゲェこと教えてやるよ」
にやりと笑ってバクラはを抱き上げた。
そしてやや乱暴にベッドの上に放り投げて覆いかぶさってくる。
「あ…」
ぎしりとベッドが音を立て。
バクラの体がの上に乗ってきた、その時。

『…あぁ…』

いつもの衝動が沸き起こる。
飢餓感を伴う破壊衝動。
はバクラの目の前で、どろりと黒い腕を吐き出した。
「…っ!」
素早く腕がバクラを掴もうとするのを、持ち前の身軽さでかわして距離をとる。
すると。
の口は腕以外の部分も吐き出し始めた。
足、頭…そして残りの腕と足。
どろりとゆるいオーラを纏いながらそれはバクラの目の前で。
「腕に捕まらなかったヒト…初めてよ」
にっこりと笑っては今しがた自分の吐き出したものを見上げる。
「でも、お腹が空いて堪らないの。殺したくて、堪らないの…。大人しくしてくれれば痛くしないから、ね?」
じりっじりっとはバクラににじり寄る。
後ろには黒い巨人を従えて。
目の前までたどり着くともう一度にっこりと笑った。
「キスで感じたの生まれて初めて。ありがとう」
そしておもむろに後ろの巨人の腕を取った。
「エクゾディア…!」
の呼び声にかっと目を見開いた巨人はバクラの頭目がけて腕を振り下ろした。
それは巨大な体に見合わぬ速さで振り下ろされて。
バクラの背にしていた壁もろとも破壊する。
ズガン!!と派手な音を立てて粉塵が舞い上がった。
「…うふふ。食事の時間だわ」
ゆっくりと崩壊した壁に近づいた。
しゃがみ込んで瓦礫を掻き分ける。
そうしている間に、真っ黒な巨人は姿を消した。
いつものことだ。
そうしてこのままたった一人で食事をする。
がらがらと壁を放り投げながら嬉々として死体を捜している
だが、そんなの期待は無残にも打ち砕かれた。
「…おい」
「…っ」
後ろから声が掛かって、の動きが止まる。
ばっと振り返ればそこにはニヤニヤと笑みを浮かべ、無傷で立っているバクラの姿が。
そしてそのバクラを庇うように纏わり憑いている一匹の魔物。
「な…っ」
「クククなかなか強ェのを持ってるみたいだな」
バクラはが立ち上がるのを待たず、首に手をかけてそのまま床へ押し付けた。
「っぐ…!」
一瞬、首をつかまれて息が詰まった。
そしてダァンと大きな音を立ててカーペットに叩きつけられる。
思ったほど痛くは無かったが、目の前の男の力は本物だ。
魔物を纏ったまま腹の上に乗ってくるが全く首の力も緩めない。
「ヒャハハハ、気にいったぜェ!!!まだまだバーは未熟みてえだけどな!カーは一級だ!!」
満足げに言い放つこの男を睨み付けるが、全く動じない風だ。
もう一度エクゾディアを召喚しようかと思ったが、どうにも上手くいかない。
「おっとォ、カーを呼ぼうとしても無駄だぜぇ。テメェみてーな弱っちいバーじゃ一日一回が限度だからなぁ!!!ヒャハハハハァ!!」
ひとしきり愉快そうに笑っているバクラが憎らしい。
こんな町にいるくせに少しはいい人かと思いきやそれは間違いだったようだ。
は悔しげに唇を噛む。
「声掛けたの…偶然じゃなかったのね」
「ククク、その通り。随分探したんだぜェ。テメェで8人目だ」
「…」
「ま、そう睨むんじゃねぇよ。ちょっとテメェに用が――――」
はっとバクラが顔を上げた。
その様子には首を傾げる。
「何」
「誰か来やがった…ちっ、めんどくせー。場所変えるぞ」
言うなりを抱え上げて窓から飛び降りる。
その行動に一瞬驚いたが、危なげなく着地したバクラにはふと言った。
「腕を避けたことといい…その身軽さ。アンタ盗賊ね」
「…クク。怖ェか?」
「別に」
を抱えたまま地面を蹴る。
既にバクラの纏わり憑いていた魔物の姿は消えていた。
魔物をつれた人間など自分以外で初めて見る。
異常な安堵が胸に広がるのを感じては小さく俯いた。




次にバクラが選んだのは安い宿。
元々こっちの方が慣れているはほっとして洗い晒しの敷布の上に座った。
「…それで、私に用って…」
「ククク、なぁに簡単だ。テメェのカーを借りたいわけよ。俺様が使いてぇときに使いたいだけな!」
「…カーって…エクゾディアのこと?」
「アァ、そうだ。それによォ、ただとは言わねえ」
の前で腕を組み、壁にもたれかかっているバクラを見る。
意地悪く細められた目。
何を企んでいるのか、には知る由もない。
「好きなだけ殺させてやる。あとの死体を好きなだけ食って構わねえ。お前が望むなら世界すらぶっ壊したって構わねえんだぜ」
「…え」
「腹が減るんだろ?殺してぇんだろ!?イイぜェ!!!好きなだけ殺せ!食っちまえ!!毎晩男なんか引っ掛けなくても俺が好きなだけ進呈してやらァ」
絶句するの前の男の目がギラリと光る。
しかしそれはただ一瞬の出来事で、その直後には今まで浮かべていた邪悪な笑みは払拭されていた。
そう、優しく笑いながら。
そう、猫撫で声で。


「俺と、この世界を盗む気はねぇか?何処の誰よりも幸せにしてやるぜェ?」


直感的に思った。
この男は自分にとってのパンドラの箱だ。
空ければ世の中にきっと不幸が蔓延るんだ。
そして一つだけ。
たった一つだけ、自分には箱の底の希望が残るのだと。
悪魔がそそのかしているのかも知れない。
だけど。



強く惹かれる男の言葉を振り切る力を、既には失っていたのだった。