愛しのメイド・ラプターズ


二月十四日、早朝。
小鳥が可憐に鳴く声が、穏やかな目覚めを促すようだった。
この部屋の主は黒咲隼。彼はまだ夢の中といった様子で、瞼を開くことはない。

そのまま穏やかな静寂が続くかに思えたが突如、彼のデュエルディスクが振動した。
通信。
コール音は法螺貝の音に設定してあり、出陣を命じるかのように鳴り響いた。

「…うるさい……朝から何だ、」

隼はコール音で目覚め、デュエルディスクの通信の応答に出た。出陣を催促されて渋々、戦地に赴くような戦士の気分だった。
法螺貝のコール音に設定しているのは、唯一人に限られる。
隼は顔を盛大に顰める。そして朝から自分を叩き起こしたに等しい、忌々しい通信主を恨んだ。

「何だ。俺は呼吸で忙しい。くだらん用件なら切るぞ。」
『黒咲、君の恋人であるを預かった。返して欲しければ一人でLDS最上階、社長室まで来るといい。』
「は?お、おい待て…!」

無情にも一方的に通信が切られる。
そして今の通信主、赤馬零児の言葉が誘拐宣言と取引を要求するものだと気付くのに五秒ほど時間を要した。

「…赤馬零児、奴は一体何が目的だ!」

不本意ながらも隼はLDSのトップである赤馬零児と共同戦線を組んでいる。現時点でを誘拐する理由が全く無い。
真意は不明。けれど恋人の危機の前では、その真意を考える余裕など無かった。

今の隼の脳内では唯一つ、最悪のシチュエーションが描かれていた。
誘拐されたが赤馬零児の手によって服を剥かれ、あんなことやそんなことをされ、破廉恥極まりない超融合をされている悪夢の光景。
想像するだけで最悪だ、と唇を噛み締める。

「待ってろ、。今、救い出してやる…!!」

黒咲隼は苛烈で直情的な男だった。
ゴールドの瞳に強い義憤を宿し、支度を済ませるとLDSを目指して全力疾走した。



「赤馬零児!!貴様、カードに封印される覚悟は出来ているんだろうな!?を返せ!」

ハリウッド映画のごとく扉を蹴破る勢いで、隼は社長室へと進撃する。

「早かったな、黒咲。」

事の始まりにして元凶である零児は、悠然と隼を迎える。騒々しい侵入者に対しても、至って平静だった。
息を切らした様子の隼を一瞥した怜悧なロイヤルパープルの瞳は、興味深そうに細まる。

「交通機関を利用しても、LDSに着くまで十五分はかかる筈だが。」
「貴様がを誘拐したと聞いて、全力で走ってきた!早くを返せ、さもないと…」
「落ち着け。ならここにいる。」

隼は促されるまま、零児の掌の先を見た。
そこに居たのは…変わり果てた姿のだった。

メイド服である。
黒や純白を基調としたエプロンドレスには、ディテールを凝らした可愛らしいフリルが装飾されている。
シアータイツに包まれた脚、その先にはシンプルな黒革のリゲッタを履いている。

その慎ましく淑やかな服装は、従順という単語を文字通り仕立てたようだった。

、その格好は…」

思わず怒りを忘れて魅入ってしまう。
の慎ましく可憐な変貌に、息を呑む。

「説明しよう。彼女は私の個人的な要望でメイドをしている。、珈琲を。」
「〜っ、…かしこまりました。御主人様。」

は恥じらいつつも、従順に珈琲を用意する。その所作は主人たる零児の命令を忠実に守る、愛らしいメイドそのもの。
零児に従順なのが実に気に食わなかったが、隼はメイド姿のを凝視してしまう。

とても可愛いな。似合っている。

いや、今はそんなことを考えてる場合じゃないと隼はキリッと目を鋭くさせ、優雅に珈琲を飲んでる元凶を睨んだ。

「誘拐はブラフか…貴様は何を企んでいる。」
「企む?そんな意図はない。ただ私は君達に日頃の感謝を込めて、特別休暇を与えようと思っただけだ。」
「特別休暇だと?何だ、突然…気味が悪い…」

隼は不信感満載の目で、零児を睨みつける。
人を駒のように扱い、人権を全く考慮しなさそうな男が日頃の感謝を込めて休暇を与える?
今の隼には、到底信じられない発言だった。

「それに今日、は恋人の君に渡したい物があるらしい。休暇にはうってつけだ。」
「〜っ!そ、それは内緒です!ないしょ!!」

慌ててが唇に人差し指を当てて、零児に抗議する。その様子が面白かったのか、零児は唇を綻ばせ「すまない、君から言うべきだったな。」と優しくの頭を撫でた。

その仲が良い様子に、隼は一気に機嫌が急降下する。
から離れろ。苛立ちを込めてそう言い放とうとした瞬間、零児が席を立った。

「という訳で黒咲。君とには今日一日、特別休暇を与える。有効に使うといい。」



不機嫌な隼を連れて退室したを見送り、零児は満足そうに着席する。
中島は疑問に思っていたことを、社長に問う。

「社長、黒咲と彼女に何を与えたのですか?」

退室の間際、零児はに「君と黒咲にこれを。」とミニサイズの紙袋を贈呈していた。中島は薄々勘付きつつも、興味本位で紙袋の中身について聞いたのである。

「中身はお前が想像している物と大差ない。私からの…いや、我々からのささやかなプレゼントだ。きっと気に入って貰えるだろう。」

実に愉快そうに、ロイヤルパープルの瞳を細める零児。それは悪戯を仕掛けることに成功した、稚気に満ちた口調だった。
中島は淡く溜め息を吐いた。社長が愉悦に唇を綻ばせる時は、厄介な企みを成功させた時だと知っていたからである。

特別休暇を与えられた二人に幸あれ。中島は心からそう願った。



場所は変わり、隼とはLDSのプライベートルームへと来ていた。
零児の計らいで貸し切りとなっている部屋は、内装は中世の貴族達が住まう屋敷のようだった。
アンティーク調の家具は絢爛を誇るように並び、テーブルにはティーセットが完備され、黒革のソファーは高級そうな重厚感がある。

「隼、まだ怒ってる?」

ソファーに座ったは、隣の恋人の機嫌を取ろうとミルクティーを淹れる。
眉間に皺を寄せ、硬質なゴールドの瞳はひたすら険しい。

「ああ、怒ってる。お前は無防備すぎる。それに、誘拐されたと聞いた時は本気で心配した。」
「…ごめんなさい。そうしないと隼が来ないって、あの人に言われて。」

の落ち込んだ様子に、隼は僅かな罪悪感を覚える。だが、舌先は止まらない。

が赤馬零児に無理やり破廉恥な超融合をさせられていたら、奴をカード封印では済まさない目に遭わせていた。」
「破廉恥な超融合って…!大丈夫だよ、彼はそんなことしないから。」
「どうだろうな。個人的要望とやらで俺の女にメイド服を着させるような奴だ。やりかねない。」

怒っていると言いつつ、淹れたミルクティーをちゃっかり口にする隼。
は隼のさり気ない「俺の女」という発言が嬉しくて、心臓が高鳴っていた。
当の本人は至って無自覚なのも、更に羞恥を誘う。は盛大に身悶えした。

「で、赤馬零児から貰ったそれは何だ?」

隼の目に入ったのはの脇に置かれたミニサイズの紙袋。外観は白の紙地にLDSのシンボルマークが刻印されている。

「チョコレートかな? 私と隼に、って言ってたけど。」
「とりあえず開けてみるか。」
「そうね。」

が紙袋を探ると、美しい装飾の箱が入っていた。綺麗な英字フォントで店名が印字されており、そのブランドは誰もが知るレオ・コーポレーション系列の高級洋菓子店のものだ。
モーヴピンクのリボンを解いて開けると、端整で綺麗な形のトリュフが九個入っていた。

「わ〜とても美味しそう…!トリュフだね。」
「この紙切れは何だ?」

隼が手にしたのは、装飾のリボンに挟まっていた付箋サイズの白い紙切れだった。
右下には白と紫で塗り分けられたクマが描かれており、中央にはピンクの丸味を帯びた字で大きく『にめいれいできるけん』と書かれている。しかも三枚もあった。

「…赤馬零羅の仕業だな。」

子どもらしい可愛い贈り物だったが、隼は盛大に頭を抱えた。
これでを好きにしろと、あの狡猾で悪辣な兄弟に唆されているような気分に陥った。下世話な話である。

「そうみたい。可愛いね。」

微笑むの顔に危機感はない。
ふと隼の脳内に、ある邪な企みが閃いた。
危機感のないメイド姿の恋人に対し、あくまで紳士的に行くか、その邪な企みを実行するか…隼の中の天秤は大きく揺れた。しかしの無防備な微笑みが決定打となり、天秤は後者に傾いた。

、俺はこのカードの効果を使わせてもらう。」
「え?」
「『にめいれいできるけん』だ。」

紙切れ一枚をドローし、の前に突き出す。
子どもじみた行為。しかしは戸惑いつつも、微笑んで隼の行動に乗ってきた。

「…わかった。バレンタインだものね。私に出来ることなら、何でも従うよ。」
「何でもいいんだな?じゃあ、俺を『御主人様』と呼べ。」

隼はあっさりと命令する。

「えっ、それは…」
「どうした。赤馬零児には出来て、俺には出来ないのか?」

愉悦で今にも緩みそうになる唇を引き結び、わざと寂しげに告げるとはスカートの裾を強く握りしめた。
恋人の恥ずかしさに悶える表情を可愛く思い、隼は満足そうに唇を吊り上げる。

「〜っ、…ご、御主人様?」

躊躇いがちに唇を震わせ、は目を逸らしたまま恥ずかしそうに告げる。隼はたまらなくなり、腰を引き寄せた。
そのままシアータイツに包まれた太腿を好色そうに撫でる。

「あっ、」
「ちゃんと目を見て言え。」
「うぅ…御主人様、い、意地悪はやめてくださいませ。」

困惑したように視線を向けてくるは愛らしく、加虐心をそそられる。
今迄に感じたことのない高揚感と嗜虐欲が、隼の背筋を震えさせた。
が可愛いのが悪い。
そんなことを思い、隼は衝動のまま二枚目の『にめいれいできるけん』をドローする。

「隼、もう止めていい?これすごく恥ずかしいんだけど…!」
「駄目だ。二枚目の効果を受けてもらう。俺にトリュフを食わせろ。」
「は、はい…!」

命令に律儀に従うが可愛く、その様子を隼はゴールドの瞳を細めて愉しげに観察した。
は白い指先でトリュフを摘まむ。
すると隼は小動物に戯れる猛禽のような所作で、を制止させた。

「おい、手は使うな。」
「え?」
「唇で食わせろ。それ以外は認めない。」

傲慢で不埒な命令。ゴールドの瞳に射抜かれ、はメイドらしく忠実に頷いた。
強引な恋人の様子に今迄感じたことのない高揚感を感じつつ、はピスタチオの乗ったトリュフを口へと運ぶ。

「私は、自身と御主人様の隼でオーバーレイ・ネットワークを構築…!」

は隼の膝上に跨がったまま、おずおずとトリュフを咥えた唇を寄せる。すると隼は愛らしいメイドの健気な仕草に応える主人のように、顎を掴んでトリュフごと唇を奪った。

「んぅ…っ、!?ふぁ、待っ…あぁっ、」

予想より早い、唇へのダイレクトアタックには身を震わせた。
洋酒の入った甘味を舌先で互いに感じつつ、唇を触れ合う。控えめに差し出すの舌を追いかけるように、隼は強引に絡めた。
征服的ともいえるキスに、は蕩けるように瞳を潤ませて夢中になってしまう。

「はぁ…っ、御主人様のキス…すごく好きです、」
「っ、…」

思わぬの甘い言葉に、隼は更に煽られた。
今すぐにでもソファーに組み伏せて襲いたい。
性衝動、そう呼ぶに相応しい戦慄が隼の背筋に疾る。だが鉄の意志と鋼の理性の強さで何とか耐えた。

その愉しみはまた、キスの後でじっくり味わえばいい。
隼は実に不埒極まりないことをキスの合間に考えた。

唾液とトリュフの甘い成分が混ざり、それがキスをより甘い交歓にしていく。
存分に堪能した後は、まるで名残惜しむかのように唇を離した。そして隼はの唇をごちそうさまと言わんばかりに一舐めする。

「中々、美味かった。」

の赤く色づいた唇を、キスの余韻を確かめるように愛しげに撫でた。が息を整えている時、トリュフへと視線を向ける。

「だが、まだ終わりではない。俺はオーバーレイ・ユニットを一つ使うことで、全てのトリュフをに使うことが出来る。」
「え、えぇっ!?」

場に在るのは残り八個となったトリュフである。つまり八回もずっとキスをする計算になる。
の口内には未だに蕩けるような甘美な感触が残っていた。キスだけではしたなく不埒な熱を持ち始めている。
隼は無意識に逃げようとするの腰を引き寄せ、可愛らしい純白のフリルに包まれた柔らかな膨らみを掴んだ。

「あんっ、待って…!」
「待たない。、付き合ってもらうぞ。」

主人の命令は絶対だ。
そう言わんばかりに、隼の猛禽じみた笑みは愉悦に満ちている。そして当分止めるつもりはないとと手を絡め、唇を味わうように奪った。



キスだけですっかり腰が抜けて立てなくなってしまった
くったりと体を預けてくるを愛しく思いつつ、隼は触れるだけのキスを額に落とした。そして主人が愛らしいメイドを労うような、優しい仕草で髪を撫でる。

メイドに扮したは可愛らしく、つい我慢が出来なくなってしまった。そのままを抱き寄せてその体温を堪能していると、ふとソファーの下にパステルピンクの包みを発見した。

「何だこれは、」

ピンクの包みを手に取る。
するとは隼の腕の中で、ピクリと反応する。

「…それ、隼にあげようと思ってた手作りのトリュフなの。作ったの初めてで、初心者なりに頑張ってみたけど形が歪だし…。」

の声は段々とトーンが落ちていった。
トリュフを渡すつもりが、高級洋菓子店のトリュフを食べてしまったために自信をすっかり無くしてしまっている。

だが、この包みの中身はが隼の為に作った、初めて手作りバレンタインチョコ。
それを知った隼の胸の底に到来したのは、暖かな喜びだった。が自分の為に苦労して作ってくれた。
絶対、無碍に扱う訳がない。隼は緩みそうになる頬を苦労して引き締めつつ、ピンクの包みを大切そうに抱えた。

「構わない。お前が作った物なら、ありがたく貰う。」
「でも、有名店のすごく美味しかったトリュフの後だし味が…」
が作った物が一番美味いに決まっている。」

男らしく言い切る隼に、今度はは唇を綻ばせる。シンプルで直線的な言葉が嬉しくてたまらない。

「ありがとうございます、御主人様。は、とても光栄です。」
「!」

は猫のように目を細め、悪戯めいた様子でエプロンドレスのスカートの裾を少し持ち上げて、恭しく一礼した。メイドというよりは貴婦人の挨拶に近かったが、それは可憐で愛らしい仕草だと隼には見えた。

嗚呼、が愛しい。

その悪戯めいた稚気も、従順で愛らしい仕草も、柔らかな微笑みも。全てが隼にとって魅力的でこの上なく愛しいもののように感じられた。

「礼には及ばない。…ああ、今度はあそこで食べるか。」

隼が視線を向けた先はシングルのベッド。その言葉には無論、も含まれていることは明白だった。
察したの頬が見る見るうちに、淡く染まっていく。そんな表情をするから意地悪をしたくなるんだ、と隼はの頬へと手を添えた。

が奉仕してくれた分、主人として褒美を与えないとな。」
「っ、隼…!」
「御主人様だ。そう呼べと言っただろう。」

聞き分けの悪いメイドを嗜めるような口調だった。
隼の白い指先には本日三枚目となる『にめいれいできるけん』が既にドローされている。
丸みを帯びたピンクの文字が、紙上に可愛らしく踊っている。
は告げられた命令を、照れながらも拒むことなく受け入れる。

ベッドの上。そこで二人っきりで味わうトリュフはこの上なく、甘美なものになるのは間違いなかった。

「褒美はしっかり与えてやる。」

好色な囁きと共に、唇にキスを贈られて。
隼に優しく抱えられてベッドに行くまでの間、は手で顔を覆い、陥落するような思いだった。
愛しの恋人は御主人様。傲慢なのにとても優しくて、不埒で。この上なく愛しかった。


fin.



ここまでお読み頂き、ありがとうございます!
今年のバレンタインは隼です。Twitterでの呼びかけに反応してくださり、快く企画に参加してくださったマリアマリー様!本当にありがとうございます。
今回の企画に乗ってくださったsector:BRAINのマリアマリー様に感謝の言葉を、この場をお借りして申し上げます。
とても楽しんで書かせて頂きました。
本当にありがとうございました!