悪戯心と秋の風


分かっていた。分かっていたはずだった。
自分と彼では体格が全然違うということを。
しかし、これはあまりにもひどいんじゃないか。
そんなことを考えて、は鏡を見るべく洗面所に向かった。




事の発端は、遊星がまた徹夜をし始めたことだった。
二徹、三徹が当たり前になってきてしまった彼を、見かねたクロウが自室のベッドに押し込めて寝ろ、と命令したのが今からちょうど3時間ほど前。
部屋に入る訳にもいかず、それならと買い出しに行って、アキとばったり会って少し(と言っても気付いたら1時間経っていて驚いたが)話をして戻ってきたが、エクストラデッキを部屋に忘れたことに気付いて取りに入ったのが30分前。その間にクロウは配達に行ったらしく、ポッポタイムには寝ている遊星以外誰もいなかった。
あまりシンクロ召喚をしない海竜デッキで助かった、と、荷物をリビングに置いて遊星を起こさないようにそっと部屋に入る。デッキを持ってすぐリビングに戻るつもりだった彼女の前に飛び込んできたのは、いつも遊星が着ているジャケット。
ふとベッドを見ると、タンクトップ姿の遊星が熟睡している。いつも自分を抱いている腕が逞しいことを視覚的に確認してしまって、は顔を赤くした。
こまめに寝ればいいのに、と思うが、それよりもなぜかジャケットが無性に気になって仕方ない。
ふと持ちあげてみる。意外と重い。触ると遊星の匂いが染みついているのか、の嗅覚を刺激する。いつも嗅いでいる匂いだ、と安心して、ジャケットを抱きしめた。
ふと、ある欲がを襲う。

着てみたい。この匂いに包まれたい。

今なら持ち主は寝ているし、ばれないだろう、と悪魔が唆す。
いや、許可なく勝手に着るわけにはいかない、と天使が反論する。
「…」
そうだ、自分の知らないところで自分の服を勝手に着られたら不快だ、とは一生懸命悪魔を追い払って、上着を元あった場所に戻す。
しかし、置いた瞬間に溢れてきたのは寂しさで。
もう何日も一緒に寝ていない、抱きしめてもらってもいない。ならせめて気分だけでも味わってもいいんじゃないか。
悪魔が最大級に弱みに付け込む。
にとって、その考えは天使を駆逐するのに十分なものだった。


そして、今。
「……」
エクストラデッキをしまったデュエルディスクを机に置いて、は遊星のジャケットに袖を通す。
独り寝が寂しい、ベッドで彼と一緒に寝ると安心する。なんて、どれだけ遊星のことが好きなんだ、と自嘲するように微笑んで袖口を見ると、指先、それも中指の爪しか出ていなくて愕然とする。
裾は裾で、ほぼスカートと同じ長さで、太ももまできている。
「えええ…」
思わず声を出してしまう。
しまった、と思ってジャケットの持ち主を見るが、起きる気配はなかった。



そして冒頭に戻るわけだが、洗面所で鏡を見ているは非常に納得いかなかった。
確かに遊星の方が自分より身長が高い。それはどうしようもない事実。
しかしここまで差があるとは思っていなかった。
本来なら肩のプロテクターの役割をしているはずのオレンジ色の装飾も二の腕にあって、お世辞にも着こなせているとは言えない。
それでも彼の匂いが心地よくて、は脱ぐに脱げない。
とりあえず鏡はもういいや、と洗面所の扉を開けた瞬間、遊星と目が合った。
あれ寝ていたんじゃないの、と思ったが、どうやら起きてきたらしい。
、俺のジャケットを見なかった…か…」
「…」
おはよう、とも、もっと寝たら、とも言えず、は後ずさる。
遊星も、まさか恋人が着ているとは思わず、目を見開いて驚いていた。
「…」
気まずい沈黙が流れる。
遊星ももどうしたらいいか分からず、視線を合わせたまま動かない。
少し間をあけて、あ、と声を出したのは遊星だった。
「寒いのか?」
「え、あ、別にそんなことはないけど」
「なら何故俺のジャケットを着ているんだ?」
視線が上着に移される。
は慌ててそれを脱ぐと、遊星に返した。
「…ごめん、なさい」
「いや、責めたい訳じゃない。着ていてくれて構わない」
「でも」
差し出された上着をやんわりとに押し返す。じゃあ遠慮なく、とは再びそれに袖を通した。
にこ、と微笑まれ、頭をなでられて、は子供扱いをされている気分になる。
むう、と不満そうな顔をするが、彼は意に介さず冷蔵庫から牛乳を取り出して飲んだ。



しばらくソファでぼーっとしていると、少し陽が落ちてきた。
暗くなるのが早くなったな、とは雨戸を閉めるべく窓を開ける。
風がひゅ、と吹いてきて、の髪を揺らした。いつもなら少し寒いのに、と思うが、今日は遊星のジャケットを着ているため苦にならない。
機嫌がよさそうな彼女を見て、遊星も嬉しくなる。
が、次の瞬間振り向いたの顔はしまった、という表情をしていた。
「遊星、寒くないかしら」
ジャケットを脱いで遊星に渡そうとする彼女を阻止するように両腕を掴む。
「俺は平気だ。それに女性は身体を冷やしてはいけないと聞いた、着ていてくれ」
「そんなこと言ったって、貴方が風邪を引いたら元も子もないわ」
腕をどけようとするが、遊星は譲らない。痛くない程度に力を入れて、を押し止めた。
「…?」
どうしてそこまで意地になるのか分からず、不可解そうな顔では彼を見上げる。
その遊星の顔は真っ赤にそまっていて、彼女はぎょっとした。
「遊…星…?」
「…いや、その」
目を逸らして、言い訳を考えるがうまくいかない。考えるだけ無駄だ、と遊星は思い切って言うことにした。
「…俺のジャケットを着てるが可愛くて、ずっと見ていたいんだ。俺のものだと自分から主張していてくれてるみたいで」
照れ隠しに抱き締められて、今度はが顔を赤くする。遊星の胸に顔があるため、彼に見られることはなかったが、彼からも自分自身からも恋人の匂いがして、は目眩なんじゃないのかと思うほどくらくらした。
遊星も我慢できないらしく、の顔を上げさせてキスを送る。何度も何度も啄ばまれて、は強請るように遊星の腰に手をまわした。
「そういうつもりで着てくれたのか、と少し期待して「何故着ているんだ」と聞いたんだが…どうなんだ?」
答えようとするが、送られた長いキスで思考が全てストップする。息苦しくなって彼の背を訴えるように叩くと、ようやく解放された。
「別に、寂しかったから着ただけよ…それに遊星のもの、って今更じゃない」
自分を抱く腕の力は依然強く、逃れることはできない。は今までの寂しさを埋めるように大人しく遊星に身体を預けることにした。
「…そうだな」
遊星の心音が心地いい。ぎゅう、と抱き締められると、もっと良く聞こえる気がする。
嫌になるほどの体格差だったのに、とは思うが、今はそれに感謝して、遊星の温かい腕を堪能することにした。




「今日、独り寝が寂しいんだと気付いた」
「そう」
「もうと一緒に寝ることが当たり前になっているんだと分かった」
「…そうね」
「俺が寝ない間、寂しい思いをさせたな、すまない」
「…そう思うなら、少しは寝る時間を増やしなさい」
「ああ。……好き、なんだ」
「私も、好き、よ」

もう一度、お互いに抱きあうと、ガレージからクロウの声が聞こえた。
「ん、クロウが帰ってきたみたい」
ぱ、と離れようとするが、遊星は腕を解かない。
「?」
「今日は、覚悟しておいてくれ」
そういうと、そっとを解放する。クロウがリビングに上がってきて、ただいま、と声をかけるが、そこにいたのは遊星のジャケットを着て顔をこれ以上ないくらい赤くしていると、涼しい顔をしてミルクを飲み干す遊星だった。
遊星が何かしたことは想像がついたが、具体的に何をしたのかは知る由もないクロウは、遊星に寝てなくていいのか、と尋ねた。
「ああ、大丈夫だ。今日はゆっくり寝ようと思っている」
「ならいいけどよ…」
寝るというのはそのままの意味でいいんだよな、という思いをクロウが抱いていることに遊星は気付かない。
は「寝る」という単語を聞いて再び赤面する。幸いにも男性二人は気付かなかった。

やれやれ、とクロウが夕飯の支度にとりかかろうと冷蔵庫を開ける。手伝おうとはジャケットを脱ごうとするが、再び持ち主に阻まれた。
「俺がやる、座っていてくれ」
そこまで脱がせたくないか、と半分引いてクロウの元へ寄る遊星を見つめる。
クロウはクロウで、もうやってられるか、と何も考えないことにして、彼に指示を出した。



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海と星と空と陸の冰覇様より頂きました。
冰覇様素敵な作品をありがとうございました!!

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