悪戯心と彼女の残り香


結局、が遊星のジャケットを脱ぐことを許されたのは、彼女が風呂に入る時だけだった。
それ以外――例えば今、寝る時ですらジャケットを着させたままで、遊星は恋人の姿を堪能する。
「遊星、ジャケット脱がないと…」
「いや、そのままで構わない」
「そんなこと言ったって、しわになっちゃうわ」
「それでもいい」
ベッドに寝ているは起きて脱ごうとするが、遊星は彼女の肩を押さえて阻止する。そのまま押し倒されると、諦めて彼の背に手を回した。
「…」
一端決めてしまえば余程のことがない限り撤回はしない彼の頑固さに呆れながら、は遊星の腕に甘える。
抱き籠められて、動くことができずにいる恋人を満足そうに見つめて、遊星はを抱えたまま布団に潜り込んだ。
「さて、寝るぞ」
「ちょっと、遊星…」
「俺と一緒に寝れずに寂しかったんだろう?」
図星を突かれ、の身体が強張る。解すように背中をぽんぽんと叩いてやって、遊星は彼女を抱き直した。
「ほったらかしてすまないと思っている。だから、寂しさを今から埋めてやる」
朝起きるまで彼のジャケットごと抱き締めて寝ることを強要されている。そう感じただったが、自分を包む匂いに安心して今にも寝そうなのは事実。
とろん、とまどろむと、遊星が自分の頭を撫でて眠気を助長させる。
堪らず瞼を閉じて彼の胸に身体を預けると、遊星も徹夜の疲れが襲ってきたのか、間をおかずに眠りに落ちた。




そして、翌朝。
ぴぴぴぴ、と目覚まし時計の音が鳴る。
遊星はむく、と起きてそれを止めるが、一つの違和感を覚えた。
「……?」
確かに腕に抱いて寝た彼女の姿が見当たらない。寝る時に脱いだはずのブーツもない。代わりに椅子には、寝るまで彼女が着ていた自身のジャケットがあった。
なんだ、脱いでしまったのか、と残念そうにそれを持ち上げる。いつもとは違う気がして、思わずジャケットに顔を近づけて匂いを嗅いだ。
瞬間イメージとして飛び込んできたのはの顔。
そこに本人がいるわけでもないのに、どきりと心臓が跳ねた遊星の顔は真っ赤になっていた。
「…!」
これは、堪らない。
自分の所有物であるジャケットから恋人の匂いがするなんて。
確かにずっと着させたから、匂いだって移るだろう。だからって、こんな。
呼吸をするたびを意識してしまって、遊星の思考回路は平常心を保てるわけがない。
一旦ジャケットを椅子に置いて、遊星はベッドで悶えた。
「う、わ…!」
しかし、そこも地雷だった。1日ずっと着ていたジャケットから匂いがするなら、毎日が寝ているはずのベッドから彼女の匂いがするのは当然で。
自分の部屋のそこかしこから恋人の存在を突き付けられて、遊星はどうしようもなくなって、が愛しい存在なのだと再確認させられた。


「…あ、遊星、おはよう」
なんとか平常心を取り戻してリビングへ降りると、そこには朝食を作っているがいた。
さっきまでずっと想っていた存在がそこにいて、遊星はまた顔を赤くして彼女から視線を逸らした。
「…遊星、どうしたの」
「え、あ…いや、なんでもないんだ」
相当不審なその行動に、は思い切り不思議そうな顔を向けて心配する。
二ヤける顔を見られて変態扱いされるのはご免だ、と、彼は顔を洗ってくると言ってガレージへ降りて行った。
「…変なの」
原因が自分にあるとは露知らず、はフライパンの中の目玉焼きを皿に移した。

「飯、食べていいか」
髪から水滴を垂らした遊星がリビングへと上がってくる。
腹をさすり、空腹だと暗に訴えると、は許可を出した。
「皆も起こしてくるから、先に食べてていいわ」
「ちょっと、待ってくれ」
腕を掴まれ制止される。何かと思って遊星を振り返ると、彼はまた顔を真っ赤にしていた。
「…その、ジャケットなんだが」
が離れようとするが、遊星は許さない。腕を掴んで、と視線を合わせる。
「良かったら、今日も着てくれないか」
「嫌」
即答され、遊星は驚く。何故だ、と聞く前に、は続けた。
「…遊星の匂いが染みついてて、安心するけど落ち着かないの」
「臭かったか、すまない」
「違うわよ…ただ私の服にも貴方の匂いが移っちゃって、ずっと遊星に抱き締められてるようで…」
「それなら余計に着て欲しい。お前が俺のものだというように、俺ものものだと思い知らせて欲しいんだ。…それに、お前の匂いがするジャケットを着ていたら、きっと理性なんてなくなってしまうだろう」
襲われたいのなら話は別だが、と続ける。
朝から何を言ってるんだこいつ。という顔を向けるが、遊星を独占したいのはも一緒だった。
仕方ない、と呟くと、部屋に戻って、彼のジャケットに袖を通した。
「…これで満足かしら?」
もう匂いは移ってしまっているのだから、着ても着なくても同じだ、と階段の上で腕組みをして見下ろす。自身の上着はやっぱり彼女に似合っていて、遊星は微笑んだ。
「ああ、可愛いぞ」
少し肌寒いが、がジャケットを着て笑っているのならそれだけで心が温かい。
今日買い出し当番になっている彼女を、自分のものだと示して不逞な輩から守れれば言うことはない。
ポッポタイム近郊でひそかに(特に男性の間で)人気になっているを独占することだけを考えて、遊星は朝食を平らげた。



(そのジャケットは首輪の代わりだ)
(身につけることで、俺のものだと示し続けるのだから)



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海と星と空と陸の冰覇様より頂きました。
続きです。
感想から更に内容を膨らませてもらっちゃいました!
冰覇様ありがとうございました!

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