彼と彼女の食事事情


「じゃあ私はこれで」
「うんうん、ちゃん、いつもありがとうねー」
ひらひらと手を振り、ゾラはを見送る。また明日、と言って出ていった彼女は、向かいのカフェで一組のカップルを目撃した。
「むふふ、あんた、あーんして?」
「ぐふふ、あーん」
アフロ頭の女性が、髪の長い男性に何やら食べ物が乗ったスプーンを差し出している。
その様子はなにやらとても幸せそうで、すこしだけは羨望の念が湧いた。

「…」
いつまで経ってもドアの前から動かないを心配したのか、ゾラはドアを少し開けて、彼女に声をかける。
ちゃん…?どうかしたのかい?」
「あ、いえ…何でもないんです」
それだけ言うと、タッと駆けてその場から離れる。
が見たであろうカップルを自分の目で認めると、老齢の女性は腰に手をあて、やれやれと呟くと室内へ戻った。
「遊星ちゃんと上手くいってないのかね…?」
そういう訳ではないのだが、誰もいない部屋では、当然その言葉を否定する者はいない。
まあ若いから何とかなるでしょう、と、結論付けて、ゾラは昼食を用意すべく台所へと向かった。

「…あれは、何をしていたのかしら」
「…何の話だ」
ゾラの元から離れたのはいいが、ガレージ以外彼女の行くべき場所はない。仕方なく本屋に駆け込んで、そこでデュエル情報誌を立ち読みしていたジャックを見つけると、はおもむろに近付いてそう呟く。
ぺら、とページを捲った彼は、いきなりの問いかけに驚いて彼女を見る。
は気にすることなく、ジャックの見ている情報誌を覗き込んだ。
「女性が男性の口に食べ物を運ぶというのは、どういう行為なのかしら」
「…お前は何を言っている」
彼女のセリフが強烈すぎて、内容が全く頭に入ってこず、集中できない。これでは時間の無駄だと、ジャックは本を買って(遊星に頼まれていたものらしい)、の手を引いて店から出た。
そしてカップルのいた、ジャック行きつけのカフェに向かう。
椅子に彼女を座らせると、店員に「コーヒー2杯」と注文した。ブルーアイズマウンテンはクロウに堅く禁止されていたことをは思い出して、少し感心する。
別に飲みたいわけじゃなかったが、彼が人の言うことをきくのは珍しいからだ。
しばらくしてコーヒーが運ばれてくる。女性店員(ネームプレートには”ステファニー”とあった)の視線がには痛かったが、何故睨まれているのか分からなかったので、彼女は気にせずにジャックと向き合った。
「それで、何だったか」
「だから、女性が男性の口に食べ物を持っていくというのは、どういう意図があるのかしらって。」
「…意図とは」
言っている意味が分からず、ジャックは腕を組んだまま困った表情でを見る。
「だから、こんなふうに」
コーヒーをスプーンですくってジャックに差し出す。こぼれないように慎重に動かすが、それでも何滴かはテーブルに落ちた。
女性店員が小さい悲鳴を上げるが、二人の耳には入らない。
「だああ実演せんでいい!」
自分のコートとの上着を汚さないようやんわりとその腕を押し返す。は逆らうことはせず、スプーンの中の液体を自分で飲み干した。
「…これをやることで、どういう心理が働くのかと思ってたのだけど…」
「心理…?」
「あ…もしかしてこれは餌付けと同じなのかしら?」
「それは間違いなくない」
ぴしゃりと言いきられてしまって、は肩を落とす。
うーん、と腕を組んで悩む彼女の表情は真剣そのもので。
もうなんと言っていいかわからないジャックは、投げやりに言葉をかけるしかない。
「…遊星にやってみたらいいんじゃないか?」
「遊星に…?」
「元々親しい間柄でする行為だ。お前が奴にやったとしてもおかしくはない」
ふぅむ、と、顎に手を当てて考え込む。しばらくして考えがまとまったのか、はカップのコーヒーを一気飲みすると、やってみる、と答えた。
「ならさっさと実行に移したらどうだ。今なら奴一人だろう」
支払いなら任せろ、と言って、ジャックは立ち上がった彼女の背を押す。
「分かったわ。お金、よろしくね!」
たたっと走り去るの背が小さくなっていく。ガレージに入って行った頃、ジャックは店員に向かっておかわりを要求していた。






「遊星、ただいま」
「おかえり、ちょうど今切り上げようとしていたところだ。一緒に昼にしよう」
「分かったわ」
コツコツと、ガレージからリビングに上がる。遊星もスパナや六角レンチを置いて手を洗うと、彼女に続いた。
「卵の賞味期限危ないからオムライスにしようと思うのだけど」
「ああ、手伝おう」
手際よく材料を並べていく彼の顔を見て、思わずは噴き出した。
「ふふっ、遊星、顔煤だらけよ」
「そう、か?」
「体中汚れてるし、シャワー浴びてきたら?その間に作っちゃうから」
くすくす笑う彼女の好意を無駄にする訳にはいかないと、遊星は大人しく従う。浴場に向かったことを確認すると、はフライパンに油を注いだ。



「ん、出たぞ」
「タイミングばっちりね。今ちょうど卵でまいたところよ」
彼女の言うとおり、フライパンには卵にくるまれた橙色の米が顔を覗かせている。
は傍の皿を持つと、器用にひっくり返して遊星に渡した。
「はい」
「ありがとう、うまそうだ」
自身の大好物であるそれを、遊星はまぶしそうな顔で見つめる。まるで少年のようなその顔に笑いそうになるが、なんとか堪えて、は自分の分も作り上げた。
そろそろ帰ってくるはずの3人の分も仕上げると、ラップで包んで冷蔵庫にしまう。空に近いそこに難なく入れるこの瞬間は快感であり、寂しくもあった。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
スプーンで卵とケチャップライスの部分を持ち上げる。ふとジャックの言葉が頭に浮かんだは、それを遊星の口に持って行った。
「遊星、口開けて」
「…!」
いわゆる「あーん」をされていることに、遊星は動揺した。まさかがこんな可愛いことをしてくるなど夢にも思っていなかったらしい。
「…」
大人しくそれに従うと、ゆっくりとスプーンの先が入ってくる。ちょうどいいところで口を閉じて、乗っていたものを口内に招き入れた頃に、スプーンが引き抜かれた。
「…どう、かしら」
「ん、うまいぞ」
ごくりと飲み込む。が、彼女の期待していた答えではなかったらしい。うーん、と唸る声が聞こえた。
、どうしたんだ?」
「…いえ、なんでもないわ?」
平然と答えはするが、明らかに様子が変だ。そもそも「あーん」を進んでしたがる子じゃない。
遊星はを注意深く観察するが、彼女の意図はつかめない。
お互い口下手で、言いたいことを言う性格ではないから、分からないことは何でも相手に直接聞くというのが二人の暗黙のルールになっていた。
今回も例にもれず、遊星は勇気を出して聞くことにする。
「…急にこんなことをするなんて、どうしたんだ?」
ぎくり、との身体が跳ねる。視線はオムライスとコップを行ったり来たりして落ち着かない。
「何かあったんだろう?」
「…迷惑だったかしら」
「そうじゃない。珍しいから、どうしたのか聞きたくなっただけだ」
右手のスプーンはそのままに、は頬杖をつく。
「…カフェに、こういうことをしているカップルがいて…どういう意図を持ってしているのか知りたくなったのよ」
彼女の顔は赤い。
「ジャックに聞いてみたら、「遊星にやってみたら分かる」っていうからしてみたけど…」
「……何か分かったのか?」
「気恥ずかしいということは分かったわ」
ジャックに、よく唆したと褒めるべきかなんてことを吹きこんだのかと怒るべきか。
遊星は悩むが、目の前の彼女をほおっておく選択肢など存在しない。
席を立って、の頭を撫でると、彼女はそろり、と顔を遊星に向けた。
「俺にされたら、何か分かるかもしれない」
そういうと、遊星は自らのスプーンにオムライスのかけらを乗せ、に差し出す。
「ほら、あーんしてくれ」
優しい声色と表情の彼に逆らうことなど出来ず、は口を開けて彼のオムライスを頬張った。
「んー……」
もぐもぐと咀嚼する。素直ながあまりに愛しくて、遊星は思わず、食べ物を嚥下したばかりの彼女を抱き締めた。
「…何をするの…?」
「すまない、可愛くてつい」
謝りはするものの、反省の色は微塵も見せない。ぎゅう、と抱き締められて苦しかったが、抵抗しても無駄だと分かっているは、彼の胸に顔を擦りつけて甘えることしか出来ない。
それでもせっかく彼女が作ってくれた料理を無駄にすることはできないと、遊星は体勢を変えて、今までが座っていた場所に自分が腰掛ける。そして膝の上に彼女を乗せて、スプーンを手に取った。
「…何かしら」
「俺が食べさせるから、も俺に食べさせてくれ」
自分の分の皿を引きよせて、スプーンを彼女の手に握らせる。は呆れた、という表情を見せるが、考えて反論するのも面倒になって、遊星の言うとおりにした。
「遊星、ほら……ええと、あーん」
「ん……何か分かったか?」
「…遊星にされると、ちょっと嬉しいってことが分かったわ」「なら良かった。もっと嬉しくなってくれ」
「もしかして、遊星も嬉しいの?」
「当然だろう?」


結局昼食がなくなるまでお互いに食べさせあった二人は、満足そうに食器を洗う。片付けが終わって、我慢できなくなった遊星は、を抱きあげて自室へと向かった。


ジャックが帰ってくるなり遊星にいきなりデュエルを挑まれるのは、この2時間後である。




「遊星、頼まれていたもの買ってきたz「ジャック!デュエルだ!あと雑誌ありがとう!」
「なんだお前はいきなり!」
に変なことを吹きこんだだろう!」
「…ああ、あれは別に変なことではないだろう。…というか貴様どうせ堪能したんだろうが!」
「……堪能は、した。だが、どうせなら俺が教えたかった…!」
「知らんわそんなこと!」
「問答無用だ、デュエル!」
「理不尽にもほどがあるわ!」
そう叫んだジャックの言葉は誰にも聞き入れられることはなく。
遊星の部屋から起きてきたは、その一部始終を知らないため、どうしてジャックが悔しがっているのかさっぱりわからなかった。



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海と星と空と陸/冰覇様より3333hitのリクエストとして頂きました。
キリバン2回目ですが、どれだけ通っているのか分かろうというものですね。
リクエスト内容は「あーん」です。
どちらがどちらに食べさせてもらってもいいですよ、って言ってたらまさかの食べさせっこという、予想以上に美味しい作品を頂いてしまいました!
登場人物、みんな可愛いですね。
不憫で理不尽な目に合うジャックも大好きです。
冰覇様、素敵な作品ありがとうございました!

また、こちらの作品はご好意で当サイトに掲載させていただいております。
持ち帰りや転載は厳禁です。
閲覧のみで宜しくお願い致します。